テディベアミュージアムとは

テディベアの小さな瞳は、いつもあなたを見ています。
悲しい時にはなぐさめの言葉を、うれしい時には無心な笑みを、
あなたのこころにきっと届けてくれるはずです。
テディベアを抱きしめれば、かすかな枯れ草の香りに気付くでしょう。
その香りは、誰もが持っているおさなごころをそっと呼びさまします。
空や風や草や木や鳥や動物たちと一緒だった、そんな美しい記憶です。
テディベアといる時、あなたはいつにもまして正直です。
両親や愛する人をいつくしむ、そうした気持ちがあふれ出て
それからまだ会わぬ多くの人たちのしあわせを祈るでしょう。

私たちは、このミュージアムによって多くの人がテディベアに出会い、
より深いぬくもりを胸に感じることを願います。
その気持ちこそ、いつの時代にも大切にすべき、
人間らしい愛情の源泉であると信じるからです。

テディベアにまつわるお話

テディベアにまつわるお話

テディベアが初めて誕生したのは1903年ですが、その前年1902年11月にテディベアという名前のいわれとなる重要な出来事がありました。
所はアメリカ合衆国・ミシシッピー、そして主人公は第26代大統領セオドア・ルーズベルト(愛称テディ)、その人です。
政務の中、ひとときの休暇を得た大統領は熊狩りにでかけましたが、その日に限って一頭の獲物も仕留められませんでした。やがて、同行していたハンターが一頭の子熊を追い詰め、捕獲することに成功。木に子熊を縛りつけると、大統領にとどめの一発を撃つように勧めました。しかし、大統領はスポーツマン精神に反するとして、即座に子熊を逃がしてあげたのです。
この話は、翌日の新聞『ワシントン・ポスト』で報じられ、政治漫画家クリフォード・ベリーマンが子熊を助ける大統領をイラストに描き、好評を博しました。ベリーマンはその後も、ルーズベルト大統領のキャラクター的に子熊を使い、彼の描いた子熊は人気者となっていきました。
子熊を逃がした話に感銘を受けたり、ベリーマンの漫画に親しみを覚えた人は数多くいましたが、ニューヨークのブルックリンでお菓子屋さんを営んでいた、ロシア移民のミットム夫妻(モリスとローズ)は、漫画の熊をぬいぐるみに変身させ、記事と共にショーウィンドーに飾りました。この熊のぬいぐるみは、“テディ(ルーズベルト大統領の愛称)のベア”=“TEDDY’S BEAR”と呼ばれ、大ヒットしたのでした。

※“最初のテディベア”については、ベリーマンの漫画の人気にあやかろうとしたニューヨークのバイヤーが、ドイツ・ライプチヒの見本市にシュタイフ社が出した「手・足・首の動く熊のぬいぐるみ」に着目し、3,000体を注文したのが最初であるとする説もあります。


伊豆テディベア・ミュージアムを開設するにあたり、私たちは故ボブ・ヘンダーソン大佐の精神を尊重し、
日本においてもグッドベアの輪を広めることを目指してテディガールを譲り受けました。
10月27日。セオドア・ルーズベルト大統領の誕生日であるこの日を、
ヘンダーソン大佐たちはグッドベア・デーと定め、ボランティア活動の記念日としました。
いつもテディベアからもらっている優しいこころを、もっとたくさんの人に届けたい。
もしも、気持ちがすさんだり、不安に苛まれている人がいたら、テディベアたちのぬくもりで包んであげたい。
そうした思いからヘンダーソン大佐たちはこの日、こころの支えを必要とする人たちにテディベアを贈り続けてきたのです。
私たちもまた、この精神を継承し、グッドベアの輪を広げていきたいと考えました。
そして、開館初年度から10月27日に養護施設や保育施設などにテディベアを贈る活動を実行しております。
テディガールが、第二の故郷である日本においても多くのこころ暖まる物語と出会えるように、
私たちは10月27日グッドペア・デーの精神を伝え広めていきたいと考えております。